岡山おもてなし武将隊 紹介

令和に蘇りし、戦国の”もののふ”たち。
備前岡山を舞台に新たな物語が始まる!
人物紹介
「岡山城」

「宇喜多 秀家」 うきた ひでいえ
岡山城城主。元亀3年1572年生まれ。岡山城城主。
干拓事業を始めるなど現在の岡山の基礎を築いた。
父、宇喜多直家が亡くなった後、幼くして宇喜多家の跡継ぎとして宇喜多家当主に。豊臣秀吉の養子として重宝され、前田利家の娘豪姫を正室に迎える。数々の戦で秀吉の天下統一に寄与。豊臣五大老として名を馳せる。
関ヶ原合戦では西軍最大勢力で布陣。しかし、惜しくも敗退し、その後八丈島へと島流しとなる。
「豪姫」 ごうひめ
前田利家の四女。宇喜多秀家の正室。
豊臣秀吉の養女となり溺愛される。


「宇喜多 直家」うきた なおいえ
宇喜多秀家の父、備前国を統一するため裸一貫から戦国大名に上り詰めた。再び苦労をともにした家臣団と、戦国時代の三大梟雄(きょうゆう)の概念に物申しつつ岡山の歴史文化を伝えるため現世に蘇った。
「円融院」 えんゆういん
宇喜多秀家の母。
宇喜多直家の正室。
美作国の出と言われており、三浦氏の美作高田城が落ちたことをきっかけに宇喜多に嫁いだと言われている。
武将隊では優しく時には厳しく秀家を支えている存在。


「宇喜多 秀隆」 うきた ひでたか
(孫九郎 まごくろう)
岡山城初代城主、宇喜多秀家の嫡男。関ヶ原での敗戦後、父と共に八丈島に流されるも、現世に蘇る。戦国武将が大好きで、クイズや紙芝居で日本の歴史を伝えている。
「宇喜多 忠家」 うきた ただいえ
宇喜多直家の弟。
秀家が幼くして家督を継いだあとも、秀家の代りに宇喜多家の運営などを担った。
茶を嗜むなど、文化人でもある。


【明石 全登】 あかし てるずみ
宇喜多家の家老でキリシタン、秀家の軍師的存在。
関ケ原の戦いでは宇喜多軍の先鋒を務め、東軍福島正則と激戦を繰り広げる。その後の大坂の陣では大坂五人衆として、信仰の自由、宇喜多家再興を掲げて戦う。
「進藤正次」 しんどう まさつぐ
宇喜多家本丸御番衆、秀家の身辺警護の役目。関ヶ原の敗戦後に秀家を逃亡させるために、秀家が自刃したと申し出て徳川家康を欺いた。後に策略が露見するも、家康から忠義を評価され処罰を免れ、幕府の旗本として召抱えられ、秀家流罪後も支援を続け、忠義を尽くした。


「玄信」 げんしん
刀ではなく、その弦に魂を込めて!
黄泉の国より、時を超えて現れた
音楽の申し子、玄信!
かつての戦場の緊張感は、今や音楽のリズムと和音に変わった!宇喜多秀家率いる【岡山おもてなし武将隊】の華やかな一員、そして甲冑ミュージシャンのトップギタリスト。
鋭い刃に代わり、彼の手に握られるのは美しく輝くギター。その音色は、まるで風のささやきと流れる川のよう。人々の心に穏やかな感動を運び、時には情熱の炎を灯す。
戦国の武将たちの心意気を音楽に変えた象徴とも言える「甲冑ミュージシャン玄信」。
戦乱の時代を超え、人々の心に調和と感動を届けるためによみがえり、ギターを構えるその姿は、まさに「音楽の武将」と呼ぶにふさわしい、華麗で魅力的な存在。
備中高松城

「清水 宗治」 しみず むねはる
備中高松城(岡山県)の城主。毛利氏に仕え、1582年の「備中高松城の水攻め」にて、羽柴秀吉に包囲されるも降伏せず、城兵5,000人の命と引き換えに小舟の上で切腹して果てた。その潔い最期は秀吉から「武士の鏡」と称賛された名将。
「高松」 たかまつ
清水宗治の正室。備中高松城水攻めで夫(清水宗治)を失うも、夫が守った息子と共に戦国を生き抜いた。現在は蘇り、『高松殿の出陣おやつ』としてご当地お菓子を紹介している。


「中島 元行」 なかしま もとゆき
備中高松城城主・清水宗治に仕える家臣。経山城城主。
宗治切腹後が宗治の嫡男の後見人を務めた。
また中国兵乱記を著すなど、今でもその功績が語り継がれている。


岡山忍者隊「葉隠」
宇喜多秀家に仕える忍者集団。
岡山おもてなし武将隊とともに活動を行う。
伊賀流を汲み、手裏剣や術などでパフォーマンスを行っている。

岡山忍者隊葉隠
公式インスタグラム