岡山おもてなし武将隊 紹介
宇喜多 秀家 「うきた ひでいえ」
岡山城城主。
元亀3年1572年生まれ。岡山城城主。
干拓事業を始めるなど現在の岡山の基礎を築いた。
父、宇喜多直家が亡くなった後、幼くして宇喜多家の跡継ぎとして宇喜多家当主に。豊臣秀吉の養子として重宝され、前田利家の娘豪姫を正室に迎える。数々の戦で秀吉の天下統一に寄与。豊臣五大老として名を馳せる。
関ヶ原合戦では西軍最大勢力で布陣。しかし、惜しくも敗退し、その後八丈島へと島流しとなる。
それから約450年。再び令和の世に蘇り、故郷岡山を知らせるために岡山おもてなし武将隊を結成。
豪姫「ごうひめ」
加賀前田家の娘。宇喜多秀家の正室。
玄信 「げんしん」
刀ではなく、その弦に魂を込めて!
黄泉の国より、時を超えて現れた
音楽の申し子、玄信!
かつての戦場の緊張感は、今や音楽のリズムと和音に変わった!宇喜多秀家率いる【岡山おもてなし武将隊】の華やかな一員、そして甲冑ミュージシャンのトップギタリスト。
鋭い刃に代わり、彼の手に握られるのは美しく輝くギター。その音色は、まるで風のささやきと流れる川のよう。人々の心に穏やかな感動を運び、時には情熱の炎を灯す。
戦国の武将たちの心意気を音楽に変えた象徴とも言える「甲冑ミュージシャン玄信」。
戦乱の時代を超え、人々の心に調和と感動を届けるためによみがえり、ギターを構えるその姿は、まさに「音楽の武将」と呼ぶにふさわしい、華麗で魅力的な存在。
宇喜多 直家(うきた なおいえ)
円融院(おふくの方)
宇喜多秀家の母。
宇喜多直家の正室。
美作国の出と言われており、三浦氏の美作高田城が落ちたことをきっかけに宇喜多に嫁いだと言われている。
武将隊では優しく時には厳しく秀家を支えている存在。
宇喜多 忠家 (うきた ただいえ)
明石 全登(あかし てるずみ)
進藤 政次 (しんどう まさつぐ)
宇喜多 秀高 (うきた ひでたか)
「宇喜多 孫九郎 (うきた まごくろう」
岡山忍者隊「葉隠」
宇喜多秀家に仕える忍者集団。
岡山おもてなし武将隊とともに活動を行う。
伊賀流を汲み、手裏剣や術などでパフォーマンスを行っている。
coming soon…